第2期医薬安全性研究会

Japanese Society for Biopharmaceutical Statistics - Since 1979 (1st 1979~2007, 2nd 2007~)

総評会館さん、ありがとう -第3回総評会館寄席-

小社では医薬安全性研究会、臨床評価研究会、医療機器臨床試験研究会、応用数理研究会の事務局をやっているので、総評会館によく行く。例によって、9月に会議室の申込みに行った処、総評会館寄席をやるので来てほしいとのこと。林家正蔵の襲名記念落語会だと言う。こう見えても私は、小中学生の頃落語が大好きで、『落語全集』を読んでは、遠足のバスの中で演じたものである。「時そば」や「寿限無」が得意だったのだ。

とは言え、最近は、TVは殆ど見ないし、ラジオはJ-WAVEだし、落語に接する機会は(聞くだけにしても)なかった。だから、実は余り期待はしていなかった。日ごろお世話になっている総評会館の企画だから、付き合うか、ぐらいの気持。


さて、当日、10月19日木曜日。

チケット(無料)を3枚もらったので、小社の高塚君、星川さんも一緒である。6時半開演とあったので、念のため6時頃会場に入った。

会場は、我々が医薬安全性研究会定例会で使用している2階の大会議室。机を取り払って椅子が並んでいる。既に半分ほど埋まっていた。淡路町町内で顔なじみのおじさんおばさんが次々詰めかけてくる。とは言え、こんな声もあった。「あら。案外埋まってるのね、去年(第2回)6時に来たときはガラガラだったのにネェ」

今回は超満員で、立見も出た。400人以上の入りであった。


総評会館理事長の、労組っぽい堅いあいさつのあと、いよいよ開演。

最初の演目は林家たけ平の「転失気」。知ったかぶりの住職が、てんしき(放屁)を誤解して大失敗するおなじみの前座噺である。若い落語家さんで、住職、医者、珍念、金物屋、花屋の役の切り分けが十分でなかった。熱演はしていたが話すのに精一杯という感じで、まあこんなものかな、と思って聞いた。

そして林家正蔵。出し物は「新聞記事」。昭和初期の、新聞がまだ珍しかった頃に作られた落語だそうである。驚いたのは、枕からどんどん引き込まれていったことである。歌舞伎役者と落語家の違いなどをネタに、場内を大いに笑わせてくれた。もちろん私も、気が付いたら、大笑いしていたのだ。明らかに、前座のたけ平とは芸の厚みが違った。間の取り方の巧みさ、声の高低強弱も多様で、私たちは正蔵ワールドの住人になっていたのである。

休憩をはさんで、三番目は、紙切りの林家二楽。達者な話しぶりでお客を笑わせながら、「きびだんごを上げる桃太郎」を作ってくれた。ハサミ一本の至芸である。客席のリクエストに応えつつ、二楽自身、ゴジラ松井、立体切絵のウサギと、都合4種類。あとで、正蔵師匠から紹介されて納得したのだが、二楽師匠は、かの名人林家正楽の息子だという。この人の切絵は、小さい頃に、TVで、何度も見たことがある。飄々とした語り口で、ゆっくりとはさみを動かし、見事な切絵を創作していたのを思い出す。二楽師匠は、比べると、キビキビと若々しい。

そして、再び正蔵師匠が登壇し、トリは「子別れ」である。演じたのは、所謂「子別れ」上中下の下であった。父である林家三平の思い出をネタにした枕から、泣き笑いの人情味あふれる話芸で、お客を引き込んでいく。 とは言いながら、私は、正蔵師匠の落語を聞くのはこれが初めてである。こぶ平時代の印象といっても、たまに見るTVに映る、コメディアンこぶ平のものしかなく、ギャグを連発するような噺しをするのかナァ、と勝手に思い込んでいた。

しかし、実際は違っていた。三平の遺伝子を継ぐ持ち前の愛嬌(特に、子供の亀の演じ方によく現れていた)、そして人情味の表現力、絶妙な間の取り方と、意表をつく落ち、時々見せる凄味など、私は「子別れ」を堪能させてもらった。

万雷の拍手で寄席は締められ、正蔵師匠も、楽屋へ戻る途中で、改めて決意を述べるあいさつをされた。


私と高塚君、星川さんはそのまま帰れず、明石でしばし余韻を楽しんだのである。そこには、この寄席を聞いたお客さんが他にもお二人おられ、帰り際、話が弾んだ。


総評会館さん、ありがとう。

(なお、「新聞記事」と「子別れ」のうんちくは、落語のあらすじ 千字寄席を参照させて頂いた)
(2005.10.21)