梅雨の季節に朝から降った雨が夕方にはやむという日が何日か続いたことがある。私は傘をさしては会社に置いて帰り、また次の日、別の傘を持ってくることを繰り返した。そのため、数日後に、家にはこわれかかった傘が残るのみであった。ワンタッチの機構がいかれてしまい、ほうっておくとすぐに傘がひらいてしまうのである。
椎名町駅に着いて、私は止むなく傘をたたみ、ネームバンド* で留め始めたのだが、その時突然、周囲の人は、皆、傘をたたんで(即ちバンドで留めて)持っていることにはっと気が付いた。同時に、私は、生まれてこの方、傘を留めたことがなかったことにも思い至ったのである。
改めて周囲を見回してみると、茶髪のお兄さんも、ルーズソックスの女子高生も、競馬新聞を片手にしたおじさんも、きっちりと傘を留めひもで留めている。取材で池上線に乗った日も雨が降り続いていた。帰るさ、その小さな車両に乗り込んだとき、何人の人が傘を留めているか数えてみた。私と同様、留めずに閉じたままだったのは、15人中3人だけであった。その後も、折に触れて数えてみると、9人中2人とか、13人中3人というオーダーで、ほとんどの乗客が、きっちりと傘を留めているのであった。
では、人々はいつ傘を留めるのだろう。今度はそれが疑問になった。朝、椎名町駅の上で、乗客が来るのを見ていると、殆どの人が既に、傘をたたんでいるのを発見した。私には、ものすごい早業に見えるのである。私はその現場を目撃できないのだが、最近、ようやく一つの事例に出会うことができた。前を歩いている御婦人をぼんやり見ていたら、椎名町駅の駅舎に入って、傘を閉じた瞬間に、たちまちのうちに傘をバンドで留め、殆ど同時に改札口を入っていったのである。ようやくのことで私は納得することができた。日常の動作として完全に身についているので、駅で乗客を見たときはとっくに傘をたたんでいる人がほとんどだったのである。
思うに私は、小学生時代から傘をさし始めてこの方、手を濡らすのが嫌でただの1回もきちんと留めたことがなかったのである。人から「傘ぐらいたためよ」と注意を受けたこともないから、無頓着なまま。そのことに今回気が付いた次第である。身に付いていない習慣がまだまだありそうである。
見上げると、空気の壁を伝わるように、無数の針のような雨が降ってくる。さあ、今日も傘をさして出かけるか。
* ムーン・バットへの問合せによる
[注]本エッセイは、私が「数理科学のための表現研究会」を立ち上げたときに、自由エッセイとして書いたものの再録である。1998年5月の執筆だが、「身に付いていない習慣」が私にはいろいろとあるので、その初めの一つとして掲載することとした(古くなったわけでもないし)。この表現研究会は、私にとっても有意義な会であったが、今は休眠している。