ご存知の方はご存知の通り、当社は昨年3月に神田駿河台の旧山崎ビルから淡路町にある現在の山崎ビルに引っ越した(というよりビル自体が店子ごと引っ越した形だが)。以前はビル全体で可燃・不燃の大きなゴミバケツを共有していたが、引っ越して以後はテナントごとにゴミを出すことになった。
当社は基本的に千代田区の収集ではなく、民間の某ビルメンテナンス会社と契約して持っていってもらっているが、問題はその会社の分別に“古紙”がないこと。
なにせ一応出版社なもんで、狭いオフィス内(ホントに狭い)に読み終わった新聞・雑誌、要らなくなったゲラ刷り、使えなくなったパンフレット、等々々が無限にあふれ返ってくる。ほっておくと、あっという間に業務に支障をきたすので、日々せっせと片付け続けなければならない。これらはその会社の区分にしたがえばすべて“可燃ゴミ”ということになる訳だが、まだまだ再生可能の古紙を燃してしまうのは、紙を大量に扱う出版業としてはいささか倫理にもとる気がする。と、そのような理由で、古紙だけは千代田区のシールを買って清掃局の回収日に出そうか、ということになった。
書き忘れていたが週2回のゴミ出しほか廃棄物関連諸業務専任担当は、なぜか昔からこの私。
ちなみに業者の回収日は火曜・木曜で、区の古紙(資源ゴミ)回収日は水曜である(つまらん話で恐縮ですが)。たかがそれだけの事で苦労するはめになるとは、全く思ってもみなかった。今年の春ごろからだろうか、水曜日の朝にいつのまにか古紙ゴミが持ち去られるようになったのである。
まあ、ゴミなのだから本来持ち去られたって一向に困らないのだが、問題は、犯人が新聞紙にしか興味を持たず、他のパンフレットや雑誌やゲラ紙の類をバラバラにしていく事だ。
古紙ゴミを出す時は、新聞とか雑誌とか大まかに分けて適当な大きさで括って、つみかさねた一番上の束の上部にシールを貼るのだが、最初のあやまちははりによって一番上に新聞紙の束をつんで、シールを貼ってしまった事だった。
その束だけ持ち去られて、あとにはただの紙の山が残され、当然収集車は素通り。
その次の週。バタバタしていてつい新聞紙と雑誌類を一緒に結わいてしまったのが大失敗。昼休み、弁当を買って帰ってきたらヒモが切られてきれいに新聞紙だけが抜かれ、雑誌やコピー用紙があたりに散乱していた。
3週目、今度こそと思い、新聞紙だけ別にして、その横に他の古紙をつみかさねておく→ 新聞紙は持ち去られ、つんでおいた分はシールの面を下にしてひっくり返されており、またしても未回収。で、犯人は誰なのかという問題であるが、これは別に推理するまでもなくハッキリしている。古紙相場の暴落で、昔ながらのちり紙交換が東京から姿を消してもう何年になるだろうか。10年かそれ以上?あのスピーカーで告知しつつ軽トラックで町内を徐行し、新聞・雑誌とトイレット・ペーパーを引き換えてくれるスタイルは成立しなくなったが、その代わりにというべきか、ここ神田界隈ではリヤカー1台に山ほど段ボールや新聞紙をつんで歩く人々がごく日常的な風景になっている。別に何もあげないけどとりあえずタダで持ってく、という回収業の人々である。いってみれば、インディーズ系古紙回収。そんなカッコいいもんじゃないけど。
それにしても、小雨の降る日など(なぜか水曜日は雨が多い)、朝イチで重たい古紙の束を3階から1階までえっちらおっちら運んで、昼休みに取り残されているのを発見してまた3階まで運び上げる時の気分というのは、相当ブルーなものがある。
1ヶ月たっても同じ古紙ゴミが捨てられない、という事態に至ってさすがに怒髪天をついた私は、千代田区清掃局に「これは一体どうなっておるのか」と電話でねじこんだ(そうです。八つ当たりです)。年配の職員は、ああ、アレね・・・・・・といった溜息を一つついて、彼らは段ボールと新聞紙だけを集めていること、人力移動で駿河台やJRお茶の水方面へのきつい坂道を登りきれないため、クレームは淡路町、鍛冶町から秋葉原方面に集中していること、などを教えてくれた。そんな事を知っても何にもならないのだが・・・・・・。結局、対策としては新聞紙だけを別に置いて持っていきやすいようにするしかない、というお話であった。しかしこちらとしてもかなり意固地になってきていて、たとえタダでも彼らには渡したくない、という気分である。直接話をつける、という選択肢も考えなかった訳じゃないが、何人もいるうちの一体誰なのかも分からないうえ(よく見ていると段ボール専門と段ボール・新聞紙兼業に分かれているらしい)、暑い日にビルの軒下で上半身裸で寝転がっている姿を見ると、ほとんど船が難破して流れついた人、という雰囲気で正直いっておっかない。直接交渉に臨もうという気持はしゅるしゅるしゅる…と萎えていった。その次の週も結局回収されず、完全に頭にきた私は、ついに決断した。
決断といっても要は、古紙を区の資源ゴミ回収に出すのを断念しただけの話。えらく消極的な決断である。以後、紙類はすべて可燃ゴミとして出すことになった。当然、可燃ゴミは倍増するが仕方がない。社長も今では自宅から持ってきた新聞を、また持ち帰って帰路の途中で捨ててくれているそうだ。申し訳ないが仕方がないのである。
未使用だがもう使えないパンフレットの束などを可燃のゴミ箱に投げ込む時の、ドサッ、という音を聞くと少々心が痛むのだが。しかし、事件はまだ終わった訳ではないのであった。先日、インディ回収屋が他のビルの前に出してあったゴミ袋を開けてゴソゴソやっているのを目撃してしまった。探し終わったらちゃんとまた口を閉じているのだろうか。あまり期待できない気がするのだ。
S社のゴミ問題はまだ続きそうなのです。これからも。
* 初めて書くのに最高に地味な話題ですみませんです。
ちなみに、佐野眞一著「日本のゴミ」(ちくま文庫)は、内容的にちょっと古いけどかなり迫力のある本なのでゴミマニア、ゴミフェチの方はぜひご一読を。