第2期医薬安全性研究会

Japanese Society for Biopharmaceutical Statistics - Since 1979 (1st 1979~2007, 2nd 2007~)

泉 圭一郎 著「チーズ・その伝統と背景」の成り立ち

標記の著作が一月末に、サイエンティスト社から刊行されました。

著者の泉さんは、この本を書いてみようという構想を抱かれた三十代のなかばから、45年という時間をかけライフ・ワークを完成されました。印刷・製本を終った本書を著者が手にしたのは、81歳の誕生日の直前のことです。


泉さんは雪印乳業に勤めておられ、主要なチーズ工場の製造課長、工場長を歴任されてから、理事でチーズ研究所長を最後に、63歳で退職されました。その間、独自の構想に基づいたチーズについての著作をまとめようとして、資料収集などの準備を進めてこられました。

退職されてからこの構想の実現にとりかかり、自分の目で確かめたことだけを書くという原則をつらぬくために、ヨーロッパにある伝統的な方法でチーズを造っている場所を、数年かけて一つ一つ調査してこられました。都市や観光地でないヨーロッパの田舎を、自分で車を運転し、宿を探しながら、訪ねて廻られたわけです。

そうした蓄積をもとに、六十代の末に執筆にとりかかられ、七十代の過半をかけて原稿を完成されました。


泉さんは、若い頃から際立った個性と主張の持ち主でした。それは次の三つに支えられてきたと、考えております。

(1)技術を、「自然科学の応用」という立場だけから視るのではなく、人間の営みの一つとして、製造の現場で発見されたり工夫されたりした「知」の集積として捉えること。

(2)特定の技術分野で有能な専門家であるために、その分野の枠のなかに閉じこもって精進するのではなく、枠を越えて大域的な思考ができる見識を養うために、広範囲な読書を続けること。

(3)会社に勤めている技術者が、組織に抱え込まれ服従させられてしまうのを拒否して、自由な人間として生きるために支払わなければならないものを、毅然として支払い続けてきたこと。


このような著者による「チーズ・その伝統と背景」は、これまでに出版されたチーズの本のすべてと、まったく趣を異にしています。既存の本は

(1)チーズの産地や種類別の紹介と解説、つまり有料の商品カタログ

(2)チーズの食べ方の説明、つまりチーズ料理のレシピ集

(3)チーズについての雑文、その多くが俗説の紹介や表面的な観察と思いつきの記述

から成り立っています。


それに対してこの本は、「チーズはどのように造られてきたのか」という主題を、綿密に書き込んであります。製品としてのチーズばかりでなく、その製造技術を平易に説明するために、本文の記述に周到な配慮がなされていると同時に、詳細な注記はより深い理解を求める読者の要望に応じられるように構成されています。チーズの本であるばかりでなく、チーズを題材にした「技術論」や「文明批評」の本として読むこともできるでしょう。


原稿は2年前に完成していたのですが、それを刊行してくれる出版社はなかなか見つかりませんでした。内容の質の高さを評価してくれる編集者はいたのですが、写真や図版が多く詳細な注記を伴っているために、現在の出版事情では採算がとれないというのが主な理由だったようです。

一昨年の暮に泉さんは奥様を亡くされ、ご自身も体調を崩されて、さすがに気落ちしておられました。何とか出版の目処をつけたいと思い、私の「実験データのグラフ表示」を出版して頂いた、サイエンティスト社の大野社長にお願いしたところ、上梓を引き受けてくださいました。

泉さんは、私が雪印乳業に入社した時に実習した釧路工場で、製造課長をなさっておられました。実習は1か月間でしたが、毎日提出していた実習日誌を克明に読んでくださり、生意気で未熟な主張に懇切なコメントを書いて頂きました。それから45年の間、直接の部下であったことはないのですが、個人的にご指導を仰いできました。

原稿の成立の過程を知り、刊行に係わった一人として、この著作の価値を理解して下さる方に読んで頂ければ幸いに存じます。