第2期医薬安全性研究会

Japanese Society for Biopharmaceutical Statistics - Since 1979 (1st 1979~2007, 2nd 2007~)

『読書の学』忘れるの記

4月28日、名古屋の数理塾SEAにおいて、数学工房の公開講座が行われた。高校3年生を中心に、SEAの講師の方や、社会人も含めて40名余が参加された。自然数の冪(べき)和(1k  +2k  +…+nk  )の公式をBernoulli数を仲立ちにして見つけていく、という密度の濃い内容で、高校生たちは非常に集中していた。3時間はあっという間であった。

アンケートにも「数学ってこんなに深いものだと、初めて分かりました」という声が多く寄せられていた。日頃、SEAが生徒をきちんとしつけて、ものを学ぶ姿勢ができていることを実感した。講座の中で行われた計算にも必死になって取り組んでくれたのである。

数学の話はこれくらいにして、講座終了後、この公開講座を世話してくれたSEAの吉本氏を初め5名で呑み会に向かった。名古屋は道が広い。横道に入ってもたっぷりと幅がある。しばらく歩いて坂の上の家庭料理風の店に入る。数学教育をめぐって話が弾むなか、ビール、日本酒と進んで、すっかり落ち着いてしまった。気がつくと午後9時近い。あわててお開きとして、店を出た。地下鉄桜通線御器所駅から今池を経由して15分ほど乗ると名古屋駅である。

9時20分名古屋発の新幹線に間に合い、一路東京へ。早朝に起き、数学に取り組み、アルコールもたっぷり入って、目がひどく疲れて、痛かったのだが、持ってきた『読書の学』を読んでいた。本書は中国文学者吉川幸次郎が「史記」や「論語」を題材にして、読書について論じたエッセイである。情報が獲得されれば作者を忘れてしまう読書ではなく、作者自身の思想を含めて本は読まれるべきである、というのが吉川幸次郎の主張であった。 静岡駅に停車したのだが、目の疲れで、本を読むのはギブ・アップ。隣の席に本を置いて寝てしまった。

『読書の学』を座席に置き忘れたことに気がついたのは、帰宅してからであった。いつもなら、カバンに入れておくものを、ふっと座席に置いてしまったのが敗因。 翌朝、校正の仕事をしつつ、時刻表で知った東京駅の忘れ物センターに電話をしたのだが、話し中である。何回かけても全くつながらなかった。御同輩が多数おられるらしい。断続的に、一日中50回ぐらいかけたのだが無駄だった。受付は10:00~18:00。今日はもう無理かな、と思いつつ、5時40分にもう一度チャレンジ。果して、呼び出し音が鳴っている!ちょこっと嬉しかった。

問い合わせてみると、しっかりと本は保管されていた。新幹線は車内点検をしているとは言え、大したものである。

翌日、東京駅八重洲南口にある忘れ物承所へ行く。申込書に所定事項を記入すると、窓口で、台帳と照合してくれる。そして、荷札のついた忘れ物を確認して、台帳に赤線を引き、サインをして、手続き完了だ。

忘れ物がきちんと保管されているのには感心したが、極めて原始的に、あるいは手作りで管理されているのであった。

文句をつける筋ではないが、聞けば受け付けは電話3本で対応しているそうである。余りに前時代的ではないか?FAXでも、e-mailでも、今や通信手段はいくらでもあるはず。電話での対応も、担当者が忘れ物を確認するので、数分の待ち時間が生ずる。ここは改善の余地があると思ったのである。

いや、文句をいっているのではない。しっかりと我が手にもどってきたのだから。

それにしても『読書の学』を忘れてはいけなかった。